Amazon Primeで大人気のリアル婚活サバイバル番組「バチェラー」。

そのバチェラーシリーズにシーズン1から司会進行役を務めているのが坂東工(ばんどう たくみ)さんです。

笑顔が素敵でダンディなイケメンですよね。

視聴者の中には「バチェラーよりもイケメン!素敵!」と坂東さんを目当てにしている方もいるとのことです。

バチェラー日本版は3シーズン終了となったのですが、2020年10月9日に女性版バチェラー「バチェロレッテ」が配信されることが判明しました!
 
バチェラーに引き続き「バチェロッテ」でも進行役を続投することになった板東工さん。

 

そこで今回は女性版バチェラー【バチェロレッテ】進行役の坂東工さんについて、

  • バチェロレッテ進行役の坂東工のイケメン画像や動画を紹介!
  • 坂東工は結婚してるの?
  • 坂東工のプロフィール
  • 坂東工の経歴(CMや映画の出演歴など)

という内容でご紹介していきたいと思います。





バチェロレッテ進行役の坂東工のイケメン画像や動画を紹介!

坂東工さんのイケメン画像や動画をご紹介します!

 

こちらは自らが代表を務める所属事務所のプロフィール画像です。↓

 

ヒゲがとってもお似合いで整った顔立ちですね。

 

スーツ姿も決まってます。↓

 

笑顔がとっても素敵ですね!

 

2020年4月20日に投稿された自身の10年前と思われるワイルドな無精ひげ姿がこちらです。↓

 

こちらは2018年に投稿された、IZ*ONEとして活動中の宮脇咲良さんのラジオにゲスト出演した際の写真です。

 

続いてはこちら!↓

坂東さんが代表を務める美術館「 iiwii 」(イーウィー)がニューヨークで開催されたそうです。この美術館の資金を坂東さんはクラウドファンディングで集めたそうです。
美術館を運営した際は現地メディアやNHKに取り上げられ大変話題を呼びました。

ちなみに坂東さんは美術館を運営するだけでなく自分自身も作品作っているそうです!
俳優だけでなく芸術家や事業を行うなんてとてもマルチで活躍されていると感じました!

 

 

 

続いて、板東工さんの動画をご紹介します。

板東工さんはアートにも造詣が深く、才能あふれるアーティストを支援するために「iiwii(イウィ)」というオンライン美術館を立ち上げました。

NewYork初展示に向けてのクラウドファンディングを募る動画がこちらです。↓

 

俳優ということもあり、ハキハキした聞き取りやすい話し方です。
低くていい声と優しい語り口調も魅力的です。

 

アマゾンプライムビデオのYouTube公式チャンネルには、坂東さんの質問コーナーという動画があります。

この質問コーナーはvol.3までありますので、ぜひチェックしてみてください♪

 

 



 

 

坂東工は結婚してるの?

坂東工さんは結婚されているのでしょうか?

42歳という年齢とそのルックスの良さからも結婚されていてもおかしくはありません。

しかし、板東工さんの公式ページやSNS等を調べましたが、現時点で坂東工さんが「結婚している」という確かな情報は得られませんでした。

調べたのは以下の4つ

『 Takumi bando official website 』

板東工オフィシャルブログ

板東工さんのTwitter

板東工さんのインスタグラム

いずれも、お仕事の様子しか見当たりませんでした。

 

さらにチェック!

「ORICON NEWS」のインタビュー記事を見ると、どうやら独身らしいと思わせる内容がありました。

「ORICON NEWS」2019年9月20日の記事から引用↓

■“坂東さん”って何者!? 多芸多才な帰国子女、実は『バチェラー』シリーズオーデション経験者

 司会進行として主に女性たちがバチェラーと話す時間やデートを取り仕切る役目を担い、“坂東さん”として親しまれる彼はそもそも何者なのか――。現在42歳の彼は日本大学芸術学部演出コースを卒業後、渡米。その後クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』でハリウッドデビューを果たし、俳優はもちろん、キュレーター、衣装デザイナーなど多岐に渡る活躍をみせてきた。

 「長いことニューヨークにいたのですが、帰国後すぐ、10年ほどの付き合いになるキャスティングディレクターとお会いして『オーデションを受けてくれ』と言われました。でもまさか自分が司会になるとは。芸人さんだとバラエティーっぽくなるし、アナウンサーさんだとカチッとしすぎる。必要なのは売れてない俳優だ、ということなんでしょうか(笑)」。

引用元:ORICON NEWS

バチェラーの応募資格の一つに

”20歳以上の独身でお付き合いしている人がいない方”

とあるので、板東工さんがオーディションを受けた2007年時点ではご結婚されていなかったのではないかと推測されます。

しかし、オーデションを経験したあとのことは不明なので、「独身である」とも「既婚者である」とも、確かな証拠は見つかりません。

 

 

板東工さんの結婚観についてうかがい知れるような一文を、彼の公式ブログから発見しました。

『”家族”

 

僕はその言葉をずっと自分の中に不確かなものとして捉えてきた。

 

1年前の8月27日、父が死んだ。

いや、死んでいたことを知った。

墓参りに行った時に、墓誌に名前が刻まれていたのだ。

 

平成二十五年六月・・・

 

死んでから2ヶ月が経っていた。

 

9歳の時に母と兄、姉と夜逃げ同然で家を出て、全く連絡を取らないまま、

20歳の時にいろいろ手を使って連絡をし、会ったのが最後だった。』

引用元:板東工オフィシャルブログ

このブログを読む限り、複雑な幼少期を送っていたことが想像できます。

きっと坂東さんの中では「幸せな家庭」をイメージすること自体が容易ではないのかもしれません。

そんな複雑な幼少気をご経験されているからなのか、坂東さんの笑顔はただただ優しい男性ってだけではなく、どこか憂いを含んだようななんとも言えない大人の男の魅力を感じませんか?

これって、一言では語りきれない彼の生き様が醸し出すものなのかな?とも思いました。

 

 

ちなみに、板東工さんはテニスプレーヤーの伊達公子さんとお会いした際に「板東さんのど真ん中」「ドキドキが止まらない」というハッシュタグと共に自身のインスタグラムで伊達公子さんとのツーショット姿を披露しているので、好みの女性のタイプの一人に伊達公子さんを挙げられています。↓

 



 

 

坂東工のプロフィール

坂東工さんのプロフィールをご紹介します。

 

坂東 工(ばんどう たくみ)

生年月日:1977年7月25日

年齢:47歳 (2024年12月03日現在)

出身:東京都

身長:177㎝

職業:俳優 芸術家 キュレーター 経営者

所属事務所:株式会社MORIYA

学歴:日本大学芸術学部卒

趣味特技:空手/キックボクシング/殺陣/乗馬/舞踏/水泳/レザーアート

参考元:https://thekeyperson.biz/interview/

参考元:https://takumibando.com/profile

 

板東工さんは俳優や芸術家としてだけではなく、自らの所属事務所の株式会社MORIYAの最高経営責任者(CEO)を務めるなど実業家の一面もあります。

俳優、司会者、芸術家だけでなく会社の経営までこなすなんて、
とっても多才でハイスペックなイケメンですね(〃▽〃)

 

 



 

 

坂東工の経歴(CMや映画の出演歴など)

坂東工さんの経歴をご紹介します。

 

多才でイケメンな坂東工さんですが、
なんと家庭の事情で11歳から東京で独り暮らしをしていたようです。

坂東さんは公式では東京出身となってますが、生まれは徳島だそうです。
11歳の頃から家庭の事情で両親と離れ、「一人暮らし」をながら、新聞配達などをして生活をしていたそうです。

—【楯】さっそくですが、まずは、生い立ちから教えてください。

—【坂東】生まれは徳島ですが、すぐに東京に引っ越しました。その後は横浜に行ったり、また東京に戻ったりと……1〜2年住んでは引っ越しを繰り返して、という生活でしたね。だから“地元”がありません。

子供のころは両親の仲が良くなくて、おふくろと兄、姉、僕の3人で暮らしていました。兄が大学に通うために一人暮らしを始め、姉もアメリカのボストンに留学する頃におふくろが大阪に帰ることになって、僕はかなり小さいころから東京で一人暮らしをすることになりました。

一応、銀行口座に毎月お金を振り込んでもらっていましたが、子どもなのでキャッシュカードを使ってお金を引き出そうとしてもできない。銀行で「この子は何してるの?」みたいな話になっちゃうわけです。仕方ないので親の知人を頼って、アルバイトみたいなことをさせてもらっていました。何もできやしなかったですが……八百屋の手伝い、皿洗い、新聞配達、いろいろやりましたね。

弁当とかを作ってくれる人もいないので、コンビニやお惣菜屋で買って食べて、という生活でした。コンビニが僕を育てたと思っています(笑)。

—【楯】そういった環境はつらかったですか?

—【坂東】寂しいとか、親の愛情が欲しいとか、そういう意味でつらいと思ったことはないですね。諦めていたのかな。

引用元:THEKeyperson

・・・・かなり複雑な生い立ちであったのですね・・・

笑顔が素敵で物腰の柔らかい印象の坂東さんですが、
想像もできないような壮絶な過去があったようです。

その後日大芸術学部を卒業を機に渡米、NYに住み始めましたが、すぐに車でアメリカ横断の旅に出たそうです。

この旅は1年半も続いたそうです。

1年半も一人でアメリカを旅するなんて、めっちゃワイルドですね〜カッコいい(//∇//)

旅していた時の体験が壮絶で、命の危険を感じる場面が何度もあったそうです。
でもさすが坂東さん!!「その時の経験で自分の既成概念が破壊された。」とインタビュー記事の中でも語られてます。
この時の様々な経験が、のちの芸術活動のきっかけとなったそう。

参考元:THEKeyperson

 

2006年マーティン・スコセッシ監督の「ディパーテッド」で初のハリウッドデビュー(公開は2007年)。

その後はCMなどの仕事も多数こなします。そのことについて板東工さんは以下のように語っています。↓

—【楯】映画俳優としてのキャリアはどのようにして始まったのですか?

—【坂東】最初は、オーディションを受けて、マーティン・スコセッシ監督の『ディパーテッド』に参加させてもらいました。「トライアド」というチャイニーズ・マフィア軍団の一員役です。受かったときは「僕、チャイニーズじゃないけど、それでもいいんだ(笑)」っていうのが、まず驚きでした(笑)。

現場に行ったら、体育館4つ分くらいの巨大なセットがあり、その中で撮影していくわけです。普通にレオナルド・ディカプリオとかマット・デイモンが歩いていましたし、一瞬「ここはどこだろう?」という気分になりましたね(笑)。

でも、僕のシーンはとても長い時間フィルムで撮影したのに、ほぼカットされてしまったという。それが、デビューだったんですけど、やはり自分が出ているシーンが使われなかったことが悔しかったんですよね。それで、ずっと「チャンスはないか、チャンスはないか」と思っていました。

映画ではなく、テレビCMなどの役では、僕はニューヨークのアジア人の中で当時は一番仕事をとっていたと思うんですよ。オーディションに行くと、100人、200人と集まるわけですが何回か参加するとだいたいみんな顔見知りになってきて、同窓会みたいな感じで、だれが仕事を取れた、取れないというのはよくわかるんです。そんな環境で、僕は9連勝、つまり受けたオーディションに9回連続で受かっていました。

—【楯】それだけ、オーディションで勝てた理由は?

‐‐‐【坂東】心が尖りまくっていたからだと思います。荒んでいたというのとも違って……なんというか、全員が敵という捉え方。ナンバーワンにならなければダメで「0か100か」という世界ですから。ゼロはゼロ、何をかけても「0」のままです。でも、100が手に入れられれば、それがドカンと1,000にも10,000にもなる。

そんな世界で、ブラフでもなんでもいいから「あぁ、それならやれますよ」と言って前に出ていく度胸ですね。身長185cmの役を募集している所に177cmの僕が行くわけです。ヒップホップのダンスができるかといわれれば「あぁ、うん、やれますよ」とハッタリかまして、帰ってすぐ練習するみたいな感じです。なぜ勝てたかと言われれば、そのハングリーさとブラフだったんでしょうね。それが通用したという意味では、いい時代だったのかな(笑)

引用元:THEKeyperson

アメリカ留学時代のテレビCMを見たかったのですが、探すことができませんでした。

テレビCMのオーディションに9回連続で受かっていたという雄姿をぜひ拝見したかったです(>_<)

 

その後板東工さんは更なるビックチャンスをものにします。

「ディパーテッド」で初のハリウッドデビューを果たした同じ年の2006年(公開は2007年)200人の応募の中からクリント・イースドウッド監督「硫黄島からの手紙」の谷田陸軍大尉の役に抜擢されるのです。

最初のオーディションで200人くらい受けて、次に50人、その次は3人となって、最後は僕だけでオーディションを受けました。オーディションにはリーダー(Reader)という台本の読み合わせに参加するスタッフがいて、その人がぐうぜん後輩だったので、いろいろと内幕を教えてもらったんですよ、その時のキャスティング・ディレクターだったフィリス・ハフマンが僕の演技を見て「ワォ」と言っていたと。それを目にした後輩が、「坂東さん、これはぜったい、通りましたよ」とこっそり教えてくれました(笑)。

その後、正式に役が決まって、ロサンゼルスに行って衣装合わせをしていた時に僕を谷田陸軍大尉(※04)の役に選んでくれたフィリスが前日に亡くなっていたと聞かされました。彼女はクリント・イーストウッドとずっと一緒に仕事をしていたおばあちゃんで、最後にキャスティングしたのが、僕だったんです。彼女の息子の、マット・ハフマンが僕のところに来て、その話をした後に「がんばって」と言ってくれました。それを聞いて、泣きましたね。

※04:坂東さんが演じた谷田陸軍大尉は、二宮和也さんが演じる西郷が所属する部隊の中隊長。敗戦が濃厚となる中での硫黄島の激戦下で、部下に自決を強いて自らも死を選ぶという壮絶なキャラクター。

大事な役なのですが「台本は撮影の前日まで渡さない」と言われました。「前に渡すと、キャラクターをつくり過ぎるから」という話らしく……。本質を見抜かれていたのかもしれませんが……踊りも演技もその場でバンと出す、それを求められていました。それを聞いてから、凄まじいプレッシャーで眠れなくなり、食事も喉を通らず、70kgくらいから55kgまで痩せました。そんな中で、洞窟の中で死んでいくシーンのセリフを言う時に、その場に居ない人が見えていました。このときも、また、ゾーンに入っていたのだと思います。

そんな感じで『硫黄島からの手紙』の撮影が終わって、ニューヨークに帰ってきたら、周囲の見る目が変わっていました。その前は、僕は馬鹿にされていたんですよ。ドリームキラー(※05)みたいな連中がいて、「お前、いつになったら映画館でみられるんだよ?」といった嫌味を言われたり、もっと傷つくようなこともたくさん言われました。それに対して、虚勢を張って「いつか出ますよ、いや、スグにね!」なんて言い返してました。

※05:ドリームキラーとは夢や目標を阻害する人。「あなたには、できっこない」「現実的な選択肢を選びなさい」などといったアドバイスをするのが典型で、善意からの場合も悪意からの場合もある。

それが、『硫黄島からの手紙』を撮って帰ってきたら、全員手のひらを返したような状態になりました。人間はこんなに変わるのか、という感じでした。それで、目の前に敵がいないという感じになってしまって……仕事としてはアメリカに居続けたほうがベターだという話は当然あったんですが、日本に帰国する決心をしました。「俺がすごいんだ。俺の方がお前よりすごいんだ」といって、周囲の人を押しのけて、押しのけ続けて生きるのに燃え尽きたというか、そういうのもあると思います。

引用元:THEKeyperson

『硫黄島からの手紙』の出演後、日本とアメリカをまたにかけて多くの経験をし、”燃え尽きた”板東工さんは2017年に日本に帰国します。

そして、帰国後すぐに「バチェラー・ジャパン シーズン1」の司会を務めることになります。

その後アーティスト兼、株式会社MORIYAの最高経営責任者(CEO)として2019年オンライン美術館『iiwwii(イーウィー)』を立ち上げ初のNY展示会を開催します。

2020年には男女逆転版バチェラー「バチェロッテ」の司会進行役として続投が決まっています。

ドラマや映画の衣装制作も担当しており、代表的なものとしては2018年NHK大河ドラマの「西郷どん」で渡辺兼さん演じる島津斉彬の衣装が代表的です。

渡辺兼さん演じる島津斉彬の衣装↓

 

 

俳優に芸術家、衣装制作までこなしてしまうなんて坂東さんは本当に多才な方です。

まさに「芸能人」という言葉がよく似合う方だと思います。

 

 



 

 

 

バチェロレッテ進行役の坂東工のまとめ

今回は女性版バチェラー【バチェロレッテ】進行役の坂東工さんについて、

  • バチェロレッテ進行役の坂東工のイケメン画像や動画を紹介!
  • 坂東工は結婚してるの?
  • 坂東工のプロフィール
  • 坂東工の経歴(CMや映画の出演歴など)

という内容でご紹介しました。

壮絶な過去を抱えながらもそれを微塵も感じさせずに気さくな笑顔で視聴者を
魅了し続ける坂東さん。

これからも多才振りを発揮して、様々な方面でご活躍を続けてほしいですね!

最後までお読みくださり、ありがとうございます。