土井杏利というハンドボール選手をご存知ですか?

フランス人の父と日本人の母の間に生まれ、小学生のときからハンドボール一筋に打ち込んできた生粋のハンドボーラーです。

ハンドボール男子日本代表”彗星JAPAN”のキャプテンでもあり、東京オリンピックでの活躍も期待されています。

また、TikTokで動画を投稿し、数多くのフォロワーを抱え、”レミたん”の愛称で親しまれているほどのお茶目な一面も持っています。

そんな土井杏利選手のプロフィールや経歴をご紹介します!
この記事では、

  • 土井杏利のプロフィール
  • 土井杏利の学生時代
  • 土井杏利の大学卒業後
  • 土井杏利の日本代表としての活躍
  • 土井杏利の動画配信活動

についてお届けします。

土井杏利についてもっと知りたい方はこちらの記事が参考になります(*^^*)





土井杏利のプロフィール

宙にういてる・・・。

この投稿をInstagramで見る

 

土井レミイ杏利(@remianri)がシェアした投稿

 

土井杏利はこんな人

土井杏利はこんな人です。

名前:日本名 土井杏里(どい あんり)
名前:フランス名 レミイ・フートリエ
名前:選手登録名 土井レミイ杏理
生年月日 1989年9月28日年齢:35歳 (2024年10月30日現在)
出身地 フランス・パリ市生まれで、4歳から千葉県成田市に転居
身長 180㎝
体重 78㎏
血液型 A型
所属チーム 大崎電機(2019年シーズンより)
ポジション CP、LW
学歴
  • 日吉台小学校
  • 冨里北中学校
  • 浦和学院高校
  • 日本体育大学

 

土井杏利選手は日本人とフランス人のハーフです。

お父さんはフランス人の料理人で、現在は千葉県でイタリア料理店を経営しています。
お母さんは日本でフランス語を学んだあと、単身フランスに渡り、お父さんと知り合いました。
土井杏利選手のお父さんです。



土井杏利の学生時代

楽しくて仕方なかったハンドボール

小学生のとき、兄や妹の影響でハンドボールを始めた土井杏利選手。

楽しくて、すぐにのめり込んだようです。

地元の公立中学校に入学し、部活動としてハンドボールに打ち込みましたが、チームは弱かったそうです。
それでも彼の実力は当時から抜きん出ていました。

浦和学院高校時代

高校でもハンドボールを続けたかった土井選手は、ハンドボールの強豪校である埼玉県の浦和学院高校に先生が推薦してくれたため、希望に満ちて進学しました。

入学当初は「通用するわけがない」という疑いの目を向けられていたそうですが、そんな周囲の評価をものともせず、一年生の終わり頃にはレギュラーを獲得しています。

インターハイでベスト4に入るなど、メキメキと力をつけた彼は、さらに上のレベルを目指しました。

日本体育大学時代

高校卒業後は、大学ハンドボール界の雄・日本体育大学に進学しました。

大学では寮生活を送り、過酷な練習や厳しい上下関係などハードな環境に身を置いて、プレーヤーとしての腕を磨き続けました。

順調に活躍していたのですが、土井選手をアクシデントが襲いました。

大学4年生のときに、左膝の軟骨を損傷するという、選手としては致命的な大怪我を負いました。
痛み止めの注射を打つなどしてプレーを続けていましたが、左膝をかばっているうちに右膝も痛めてしまいました。

大学卒業の時には社会人チームからも声がかかっており、プレーを続けるか悩みましたが、膝の状態を考えて社会人ではプレーすることを断念し、ハンドボールから引退することを決意しました。



土井杏利の大学卒業後

フランスへ語学留学

一時期は失意の底にあった土井杏利選手ですが、新たな目標を探し、自身のルーツでもあるフランスに語学留学することにしました。

留学先の地として選んだのは、ハンドボール界のスター選手であった元フランス代表のステファン・ストックランの生まれ故郷・シャンベリーでした。

ストックラン選手は日本の本田技研でもプレーし、土井選手はストックランにとても憧れていたからです。
この地で彼は1年間過ごした後、日本に帰国するつもりでした。

ここで彼の身に信じられないことが起きました。
医師からも回復は無理だと言われるほど重症だった膝が、フランスに渡って一ヶ月ほどたった頃、痛みがないことに気づいたのです。

もう一度ハンドボールがプレーできるかもしれないと思った彼は、軽いジョギングなどで少しずつ運動の強度を上げていきました。

全力で走ることができるまでに回復した彼は、再びハンドボールに対する情熱を抱き始めていました。

念願のプロ入り

ジャンプ力がすっごい!!

この投稿をInstagramで見る

 

土井レミイ杏利(@remianri)がシェアした投稿

怪我が回復した土井選手は、ハンドボールをプレーする機会を求めていくつかのチームに直談判し、フランスの下部組織に所属する若手のチームに入ることができました。

そのチームでの活躍が認められ、フランス一部リーグのチームと契約を結び、晴れてプロ入りを果たしました。

レベルが高く人気もあるフランスのハンドボールリーグでも土井選手は活躍を続けました。
点取り屋として数多くのシュートを決め、個人成績だけでなくチームの躍進にも貢献しました。

2017年には日本人選手として初のオールスターゲームにも出場しています。



土井杏利の日本代表としての活躍

土井杏利選手は2016年に初めてハンドボール男子の日本代表入りを果たし、三度のアジア選手権や二度の世界選手権などに出場しています。

現在は日本代表”彗星JAPAN”のキャプテンも務めるなど、欠かせないプレーヤーとなっています。



土井杏利の動画配信活動

土井杏利選手はTikTokで動画投稿を行っています。

“レミたん”の愛称で親しまれており、なんと170万人ものフォロワーを持つほどの人気を得ています。

ここではハンドボールの話題よりも、コミカルな動きや顔芸といった面白い動画を中心に配信しています。

プレー中の精悍な姿とは真逆のお茶目な”レミたん”は、ファンの心をしっかりつかんでいます。

これにはハンドボール界を盛り上げて、もっと注目させたいという狙いがあるようです。
おちゃめさんですね~~~(*^^*)

@anriremi頼んでたニューエラのキャップが届きましたー🤓 IB:@insertrichie #newera♬ オリジナル楽曲 – Remitan レミたん🥕🐴



まとめ

かっこいい!!

この投稿をInstagramで見る

 

土井レミイ杏利(@remianri)がシェアした投稿

 

  • 土井杏利のプロフィール
  • 土井杏利の学生時代
  • 土井杏利の大学卒業後
  • 日本代表としての活躍
  • 動画配信活動

についてお届けしました。

「努力したことはない。だって楽しかったから」

土井杏利が残した言葉です。
どれほどハンドボールを愛しているかが伺えます。

ハンドボール界を取り巻く環境も変わってきています。
土井杏利のような個性豊かな選手が世間の注目を集めています。
いずれはハンドボールのブームがやって来るかもしれません。

今後も”レミたん”こと土井杏利選手の活躍に注目しましょう!